運営者情報~著者のプロフィール

運営者デリヘル本番【裏ナビ】情報事務局
著者堺 幸蓉
所在地東京都墨田区太平4丁目
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著者プロフィール!風俗3000人切りを目指す理由

風俗で目指すのは最高に気持ちいいセックス!それを追求し続けるのだ。

「風俗通いをなぜ続けるんですか?」

そう言われた時に自分の答えはもうはっきりとわかっている。それは最高に気持ちいいセックスをするためだ。

風俗にデビューしたばかりの頃に一緒につるんでいた学生時代の友人や入社したばかりの頃の悪友たちはとっくに結婚したり、不倫をしたり、愛人を囲ったりして一人のセックスパートナーとの間でセックスするという関係に落ち着いてしまっている。

筆者のみが40歳を過ぎても毎週末のように風俗通いをしており、いい女がいると思えば場末の風俗にも足を運んでいる。

虚しいヤツだと言われればそれまでだが、俺はこれが幸せなのである。

風俗には週2回は必ず足を運ぶし、ダブルヘッダーで1日に2つの風俗を利用することもしばしばだ。風俗で抱いた女の数はもはや2,000人を超えているだろう。ただ、27歳の夏に自分が経験したこれまでの人生で最高に気持ちよかったセックス並ぶようなセックスはまだできていない。

風俗の道は深く、女を抱いても抱いてもセックスというものを極めるには至らない。

あの夏の最高のセックスを超えるセックスを出来る女とめぐりあうためには3,000人切りでも足りないかもしれない。

ここからは筆者の人生を振り返りながら、筆者と風俗の関係を述べたいと思う。

ヒマな人は風俗狂いのオッサンの与太話として笑い飛ばして欲しい。

著者の初体験の話

いまでこそ風俗狂いの筆者だがそもそもの初体験は高校3年の夏と遅かった。当時文化祭の準備で残っていた教室でいい雰囲気になってそのまま同級生とやってしまうという今で考えれば非常にやばくて興奮するシチュエーションだった。あの時のセックスを誰かに見つかっていたら、人生のレールを踏み外すことになっていただろう。ただ、初体験の感想としてはそんなに気持ちよくないということだった。女も今で考えれば中の上くらいのレベルで、とりあえずセックスできるから抱いてやったようなもんだった。

ただ、その後も受験が始まるまで週1では性欲処理をしてもらっていた。ただ、この女は抱けるということにしか興味がなかったので、高校卒業とともにお別れした。今では名前すら憶えていない。

出会い系で女を抱きまくった学生時代

さて、その後大学に入って最初の夏休みに彼女が出来た。その彼女と付き合って1ヶ月でセックスして、その頃は毎日サルのようにやりまくっていた。この頃は彼女とのセックスだけで満足していたのだが、ある日悪友から出会い系サイトというものを教えられた。悪友がそれで女を食いまくっているという話を聞いて興味本位で自分も初めて見ることに。

悪友の指示通りやっていると、本当にすぐに女が釣れた。

 

その日の朝にメッセージを送って、夕方には会うことになった。彼女とセックスするまでデートに行ったりいろいろと面倒な手続きが多かったことを考えると驚異的なペースだった。実際、待ち合わせしたのは大学の近くの池袋駅。今思えば、この女がブスだったら、今頃出会い系サイトの利用はやめていたと思う。ただ、ビギナーズラックといっていいのか、自分の1歳年上の当時人気があった遠藤久美子に似ている女子大生が立っていた。

この遠藤久美子とラブホでセックスしたのだが、このときに経験豊富な遠藤久美子からいろいろなテクニックを味わって、セックスに本格的にはまってしまった。その後の学生時代は出会い系サイトとともにあったというくらい出会い系サイトを愛用していた。これにより経験人数が大幅に増え、今現在3,000人切りが目前になるほど女を抱くペースが加速度的に上がっていった。

社会人になって風俗にはまり始める

学生時代には出会い系サイトで思う存分女を抱きまくっていたが、社会人になるとあまり出会い系サイトに注力する時間が無くなってしまった。ただ、筆者は社会的には一流企業といわれる会社で働いていたため、お金にはかなり余裕があった。加えて、忙しさも半端ではなかったため、ホテルに泊まることも多く、そこでムラムラしてくるとデリヘルを呼ぶのが常になった。

ただ、最初は普通にデリヘルの素股サービスを体験していたが、どうしても自分は本番をしないと興奮しないということにこの頃気づいた。それからはいかにしてデリヘル嬢と本番出来るかということを楽しみに交渉するようになった。ただ、この頃は女とやるときに顔とスタイルばかりを重視していた。しかし、そんな自分に衝撃を与えたのが、当時大流行していたアジアンエステのSちゃんだった。

27歳の夏、アジアンエステで出会った女との最高のセックス

アジアンエステというエステという名前が付きながら本番が出来る風俗が流行していたのがこの頃だった。自分の会社の近くにはこのアジアンエステが多数入居しているというビルがあった。自分がこのSちゃんと出会ったのはマンションの一室で女の子が待機していてそこでセックスするというタイプの風俗。当時はやっていたマンション形式のアジアンエステだった。8,000円程度の値段で中国・タイといった国の女の子と本番が出来るという話に興味を持ち、仕事の後に行ってみることにした。
受付の部屋で女の子の写真を見せられたが、修正のし過ぎで全く分からず受付がサービスがいいと勧めた子に入ってみることにした。それがSちゃんだった。この風俗ではマンションのドアを開けて女の子と対面するときがドキドキなのだが、Sちゃんは容姿はいたって普通。この時点ではまさかこのSちゃんとのセックスがあんなに衝撃的なものになるとは思わなかった。

この出会いが俺をセックス中毒に変えたと言っても良い。
Sちゃんとのプレイは一通りのマッサージをした後からスタートしたのだが、最初の全身リップからこちらが声を上げてしまうほどのテクニックを持っていた。特に乳首なめのテクニックは抜群で身をよじって感じてしまった。その後も手コキもフェラもかつて経験したことが無いほどの快感で、普段は挿入するまではいかない自分も思わずSちゃんのフェラで一度逝ってしまったのを覚えている。

その後にアジアンエステの醍醐味である本番のプレイに入ったのだが、この時点でこれまで経験したことのないようなお○んこの張り付いてるような感覚を味わうことになった。自分が動いていないのに勝手に息子を刺激してきて、先ほど射精したばかりだというのに、わずか3分で生かされてしまった。あまりに気持ちよかったので、60分コースで入っていたのだが、120分に延長してしまい、それでも足りずに180分にしてひたすらやりまくったのを覚えている。
その後、このSちゃんが自分のお気に入りになり、Sちゃんの出勤日を毎日チェックして出勤している日には毎回180分で予約を入れてやりまくるようになった。正直これまでにはまったことのない快感で今までのセックスは何だったのかと感じるほどだった。仕事中もSちゃんとのセックスが楽しみで集中できないあった。このような日々がしばらく続いたのだが、Sちゃんと出会って3か月たったころに違法風俗ということで警察に摘発され、Sちゃんのいたアジアンエステの店は無くなってしまった。

そして、Sちゃんの携帯も連絡がつかなくなってしまった。おそらく本国に帰らされたのかもしれない。それからしばらくは都内の裏風俗であるアジアンエステのホームページをひたすら探したり、ホームページが無い店は実際に行ってみたりもした。

ただ、Sちゃんを見つけることはできなかった。Sちゃんに恋愛感情があったのかと言えば無いと断言できるが、Sちゃんの体に溺れていたかと言われれば答えは「YES」。

女の体に溺れたという体験はこれが初めてだった。

その後、しばらくはSちゃんを探しながら1年くらいアジアンエステに通い続ける日々が続いた。ただ、Sちゃんを超える名器の持ち主やテクニックの持ち主にはいまだ出会えていない。今でもSちゃんとのセックスを思い出すと股間が熱くなることもしばしばだ。このSちゃんとのセックスを超えるセックスを出来る相手を探すために今も風俗を放浪している自分がいる。

お金では買えないセックスの体験がある。もう一度!あの感動を味わいたい。

もう二度とあの興奮を味わえないかもしれない!だが!

それを求め続けることに生き甲斐があるのだ。

風俗での3000人切りは通過点だと思う。これからも最高のセックスを探して放浪を続けるだろう。

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